月命日、ありがとう美知子

今日はわたしの妻の月命日についてお伝えしていきます。個人的な事ですのでご覧になりたくない方はご遠慮ください。それでは解説していきます。

【結論】

妻美知子は死してもなお、常に見守り続けてくれています。悲しみをずっと背負う気持ちはわかりますが、美知子のため新たに生きがいを見つけ出し前を向いてあるいていく事が大切であると思います。

【妻の死】

2020年12月5日AM9時に肺腺癌にて亡くなりました。享年62歳です。

入院してわずか18日間で亡くなりました。

妻は9月の終わりごろから頭が痛いと言い、市販薬を買ってきて飲んでいました。しかし、一向に良くならず、医者嫌いだったのに自ら脳神経外科に行きMRI検査を受けたが問題なし。しかし、ずっと頭が痛いのいい、眠れぬ日々を送るため、当時住んでいた総合病院を受診、神経内科を受けます。

ここで、最初に見て頂いたときは、「薬物乱用頭痛」であると診断された。頓服を処方され、痛みから飲んでいたが全く効き目無し、薬が切れ貰いに行くと、病人である妻に対し、医者としてあるまじき言葉を聞かされる(ここでは説明しません)妻はショックを受け、涙を流していました。

余りにもよくならなず、頭が痛い!と言い続けるため、2020年11月18日、同じ病院で神経内科の別な先生に診て頂き、即入院となりました。

【入院してから】

妻は入院して「これでよくなる、ゆっくり眠りたい」と言っていました。しかし、現実は全く違うものでした。入院当日はすでに呼吸が苦しい状況になり、歯磨きをやめないと息が出来ない状況まで悪化していました。歩くことも辛く車いすを使うほどでした。

入院後様々な検査を行う事になります。血液を抜いて毎日検査、pet検査を行い、初めて癌だと判明します。そのとき、がんはステージ4で悪性のがんであることがわかります。私は11月28日に病院から呼ばれます。その時入院以降会っていなかった妻に再開しますが、あまりにも変わり果てた姿になっていました。先生から「がんはステージ4で悪性のがんです。このままですと余命2か月です」と宣告されました。

私はショックのあまり、家に帰ってきてからずっと泣いていました。1番辛かったのは妻だと思います。

【病院から突然の看護要請】

2020年12月1日より付き添いの看護をするよう病院から要請がありました。すでに美知子は医療用麻薬を投与され、せん妄の症状が出ているため、酸素マスクを外してしまうため、付き添いをお願いしたのでした。

12月1日、病室に着くと妻はわたしの顔を見て泣いていました。よっぽど寂しかったのと辛かったのだと思います。わたしも妻の涙を見て、泣いてしまいました。

その日から3日まで寝ずに看護を行います。パルスオキシメーターを装着していましたが、平常時90以上ないといけないのが、3日あさ4時台に60まで下がり、非常に危険な状況になりました。

【妻の死を覚悟】

危険であると判断したわたしは、妻の子供に電話し来て頂くようにお願いしました。3日の夕方6時に先生から呼ばれ、娘いれて説明がありました。

「がんの遺伝子検査結果が分かりましたが、妻の体力が無さすぎで手の施しようがありません。いつ亡くなってもおかしくありません」と言われ愕然。」

わたしは、4日明け方に妻が意識があるときに伝えました「もう長く生きられない、いつ亡くなってもおかしくない」と先生が言っていたことを隠さないで伝えました。

妻は、「もっと生きたかった」と言って泣いていました。

【妻と最後の会話】

4日は娘さんと2人で過ごして頂きました。(妻はわたしと再婚です)わたしが自宅にいると携帯電話が鳴り、出ると相手は妻でした。妻は電話で「ごめんね、ごめんね」と謝ってきました。わたしは、妻に対し、「俺こそ本当にごめんね、助けてあげられなくてごめんね」と謝りました。

この言葉が妻と話した最後になりました。

すぐに病院に急いで来てください】

妻の娘から電話があり、「すぐに病院に急いで来てください。」と言われすぐに向かいます。病室に到着すると妻は既に危篤状態でした。先生が聴診器で最後の確認をします。AM9時お亡くなりになりました。

わたしはショックで泣き崩れました。病院に入院したからこれで良くなる!と思っていたのになぜなんだ!と思い失意にかられました。

それからは、毎日泣き崩れました。仕事も以前と同じことが出来なくなり、パフォーマンスが低下、そこでわたしは会社に迷惑をかけると思い、自ら身を引かせて頂くため、退職しました。

【あれから半年が過ぎた】

妻が肺腺癌で亡くなり本日で213日目です。わたしには子供がおらず、妻を亡くしたあと毎日孤独に襲われています。世間でいう「生きがい」を無くしてしまったのです。

2021年2月13日に福島県沖で大きな地震がありました。その時死んだ妻が私を助けてくれたのです。地震では大きな揺れから物が沢山壊れ、仏壇も被害をうけました。わたしはその時寝ていたのですが、美知子の遺影がガラス花瓶があたらないようにしてくれて、逆に遺影が割れてしまいました。亡くなっても助けてくれたのだと妻を感謝しております。この助けられた命、大切な意味があると感じ、新たに生きがいを作り出すこと、私のように苦しんでいる方のために力になれないか?と考え、起業する事決意しました。

会社設立は2021年7月7日です。

生きがいを持つことで「夢中」になれました。天国に行った美知子に今度出会うときに、今から立ち上げる会社を通じ、社会貢献が出来、全力で生き抜いた姿を語り合えるようにする事を、妻に誓いました。

【まとめ】

今日は、わたしの個人的な事を主に書かせて頂きました。わたしがなぜ「エンディングライフファミリーアドバイザー」を立ち上げたのかが少しお分かり頂けたかと思います。わたしの会社は全てわたしが実体験をもとにしております。

妻美知子と歩んだ25年、そこから多くを学び生かす事が妻に対するせめてものお詫びだと思いますし、天国に行った際に恥ずかしくない生き方をした事を示したかったので今回書かせて頂きました。

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